気付いたらブログ開設から15年も経過しておりました。ここまで来るとずっと残していきたい資産に感じます。ホントに不定期にはなりますが時々気付いたら更新していきたいと思います。
光市母子殺害事件の差し戻し高裁の審判が今日下された。死刑という判断である。人が人を裁く時の判断基準は何なのか気になった。このような少年審判に下される死刑という判断について、ここにきて量刑の判断について潮流が変わってきたような気がする。世間では飲酒運転や産地偽装事件やインサイダー取引等、不正行為に対するマスコミや世間の取り上げ方が近年厳しくなってきた傾向がある。この少年犯罪も日本社会全体の犯罪行為に対する厳しい流れを受けた判断と思われる。もちろん11ヶ月の乳児と母親を残酷な殺め方をしたことは決して許されることではない。ただ犯行時の年齢が19才だったということ、また殺害された被害者の人数が2人だったということ、これらを考えて高裁の判断が死刑になったということがこれまでの量刑判断基準よりも若干シビアな方向に変わってきていることは間違いない。これから裁判員制度が始まる中で司法のプロの判断がこれまでより厳しく量刑を判断する方向にシフトしてきているということは、司法のアマチュアである我々が見ず知らずの容疑者の量刑を判断するときに更に厳しい方向に向かわないか一抹の不安がよぎる。もちろん罪は絶対に償わなければならないし、決してそれ自体許されるべきことはない。しかし量刑の判断基準がより重い方向にシフトすると、刑務所の維持運営に対する我々の負担が増える。さらに服役期間が長いと社会復帰の可能性が減り、再犯率が高くなる。結果ドロップアウトする人口が増え社会はより不安定になる危険をはらんでいる。アメリカのように。もちろんこの光市母子殺害事件に対する量刑は妥当という部分もあるが、このような判例が今後増えていくとより刑事事件の量刑判断が変わっていかないか少し不安である。皆さんはこの事件についてどう思われたであろうか。
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