ネガティブなことを言うと自分に跳ね返ってくるから言わないほうがいいという見方もあるけれども、やはり最近は仕事がなんかきつい。新しい上司が入ってきたのだが、全く反りが合わない。
まあ無視していても向こうは質問責めしてくるのには辟易する。いくら上司とはいえ教えてもらって当たり前のような態度をとりつつ分かったような口を利いてくるからまあバカなのか知っててやってるのかいずれにしろ嫌な気分しかしない。
昨日くらいに知人のブログを見たけれども、いつ手指が動かなくなるか分からない病気と闘いながら一生懸命ピアノを練習していることを打ち明けてた。仕事でも手首を捻らないように注意しながら働いている。なのにそれを微塵も感じさせない明るさが彼女と話してみて感じられた。
そう思ったら自分はいくらでもピアノも仕事もできるしどんな職場に行っても肉体労働だろうがオフィスワークだろうがとりあえずなんでもできる。まあ常に誰かと戦うかもしれない。それでも食っていける。そう思ったら今の自分はかけがえもなく尊くてぜいたくで幸せなんだろうなあと思った。幸せも不幸せも人は想像できる範囲のことしか受け止められない。今の自分に必要なのは一度高校生くらいの子供と一緒にぼろくそに言われながら穴掘りとかをするアルバイトしてみたほうがいいのかもしれない。
その上司はかなり問題だけれども、こっちも歳を経て変なプライドだけが育ってしまったから仕事のうえでの人との関わり方の大切なところを忘れてしまっている。歳をとればとるほど偏屈さを指摘して修正してくれる人はいなくなる。だから自分で気付いて方向修正していかないとまずい。くその役に立たないプライドは一度全部壊す必要がある。金儲けではなく人生の価値観修正のために一度人格まで否定されるようなきつい仕事を兼業してみたほうがいいかもしれない。今の仕事のありがたみとこれからの設計図を描けるようになるために。
話しは少し変わるが最近小室哲哉の曲がオリコン1位になった。彼は復職したばかりの際に「また音楽の仕事が出来て嬉しい。これまで自分を支えてくれた人に恩返しをしたい。」的なことをいっていた気がする。お金も名誉も完全に失い、妻と一緒に知人宅に止めてもらって生活していた彼はどんぞこの生活を味わった。でもそのおかげか彼には年甲斐もないほどのすてきな謙虚さがあったな。かえって幸せになったのかも。生活そのものよりも受け止め方の変化が何より大事らしい。